すごす

目指すは田舎のお母さん

2021年12月、宝島社の田舎暮らしの本に取材して頂きました。

女性ひとりで焼き物の町へ。地域おこし、結婚、起業、就農、 目指すは田舎のお母さん!【栃木県益子町】

掲載:2021年12月号

東京・秋葉原から高速バスで約2時間半の栃木県益子町。地域おこし協力隊としてこの地に赴任し、Uターンのご主人と結婚・出産した仁平彩香さん。その後、「益子、くらしの土産店」を起業し、今年新規就農を果たしました。益子での子育て、日々の暮らしについて伺いました。

「道の駅ましこ」へ納品する仁平彩香(にへいあやか)さん(33歳)。写真や文章によるナチュラルなPOP、パッケージは、すべて彩香さんの手づくり。商品にまつわるストーリーが記されている。彩香さんは長崎県諫早市出身。2014年5月から2016年3月まで益子町の地域おこし協力隊に。地元出身の佑一(ゆういち)さん(33歳)は地域おこし協力隊を経て、昨年新規就農。結芽(ゆめ)ちゃん(4歳)との3人暮らし。
「益子、くらしの土産店」
Instagram/@neharu_mashiko

 その日の待ち合わせは「道の駅ましこ」。仁平彩香さんは、益子焼の小鉢に収まった淡いピンクのショウガの甘酢漬けなどの納品にやってきた。昨年新規就農したご主人の佑一さんと4歳になる娘の結芽ちゃんと、家族で育てた作物を加工して販売する。

 「私自身が益子の暮らしに助けられたので、それをお土産のように持ち帰っていただきたくて」

場所を移して腰を下ろすと、猛烈なスピードで語り始めた。

直感で決め、益子で地域おこし協力隊に

 長崎出身の彩香さんは茨城の大学を出て上京。コミュニティトレードやNPOのインターンなど、いくつかの職を経験した。

 「東京だとなんとなく、仕事が残っていかない感覚があって。それで益子へ遊びに来たとき、畑にトウモロコシがのびのび育っていて楽しく、ここなら私ものびのび生きられる!と(笑)。からだが、そのときの気持ちよかった感覚を覚えていたんでしょうね。最終的には、直感が大きかったです」

 引っ越しを含めて求人を探すうち、益子町の地域おこし協力隊に行き当たる。じゃあ行ってみよう! 気軽な思いつきだったらしい。そして赴任の直前、同僚になるはずだった隊員が突然の辞退。追加募集に応募してきたのがのちにご主人となる佑一さんだった。

 「仕事は、道の駅ましこの開業準備でした。1カ月後の実証店舗のオープンを目指し、忙しかったです。販売の問題点や生産者との関係性、さまざまなシステムを勉強するなかで、いろんな農家さんと出会えた。ナヨナヨした私に、ふき味噌のおにぎりを握ったぞ、栗の渋皮煮をつくったよ、とくれたりして。ハードワークでしたが、その暮らしを益子の人たちに支えてもらったようでした。ありがたや益子!と」

 1日4軒ほど農家さんを巡って畑の写真を撮るという仕事で、さらに農家とのつながりができた。

 「花農家さんを訪ねると、干し柿をつくろうとカキの皮をむいていたり。季節の暮らしがベースにあって、みんな格好いい。道の駅でそのまま働く流れもありましたが、売る仕事でなく育てる側になろうと決めました」

 赴任して2年弱、佑一さんと入籍した翌月に退任。さあ何を始めよう?と思いを巡らすうち、「根を張り育てる暮らし」というテーマが浮かぶ。ちょうどそのころ、おなかには新しい命が。東京では根無し草だった自分が益子で暮らし始め、佑一さんと出会って家族になり、根を張って暮らしていく。だから屋号はNeharu(ねはる)。商品第1号は、地元の人や地域おこし協力隊の仲間とつくった菜種油「ましこのひとしずく」。

 さらに、彩香さんが辞めたあとも協力隊を続けていた佑一さんと梅干しをつくり、益子焼の小さなかめに入れ、道の駅で販売した。

「最初の梅干しづくりは娘が生後3カ月で、引っ越しも重なって、どうやって?とか言いながら、なんとか干して。できあがったら、今度は売りたくなる。それなら!と、知り合いのおばちゃんがつくるかめをとりあえず20個買って、梅干しを入れて販売しました。翌年100個、今は200個つくっています。もっと増やそうにも手仕事だから、これくらいが限度。季節の仕事はただ増やしていくんじゃなく、落ち着かせていくものだって覚えたんですよね」

 賞味期限の長い梅干し、ニンニクやショウガが主力。彩香さんも今年新規就農者となり、野菜に関しては「まだ勉強中」。

 「加工品づくりから、もっとお米や野菜などの一次産品にベースを置いて暮らしていけたら。そして、益子の暮らしをお土産にしたいと思っています。商品化したいのは手づくりショウガシロップキット。東京でシロップをつくろうとしたとき、ショウガの量は? びんの大きさは?と考えたら、とても時間がかかった。そこで材料や容器をキットにして、つくりたい思いと実際つくるまでの間を埋める仕事ができたらいいなと」

 益子には当たり前にあるもの、生活を手づくりする時間そのものをお土産に――。彩香さんの手がける商品は、益子での日々の暮らしから生まれている。

季節のかめシリーズ。梅干しやゆず味噌と、中身もかめの色みも、季節によって変わる。

結芽ちゃんは彩香さんを“かか”、佑一さんを“とと”と呼ぶ。「工夫すれば遊びもちゃんと仕事になる。親の発想力だな~って。勉強させてもらってます」(彩香さん)。

親子3人で「畑保育園」始めました!

 畑に移動すると、佑一さんと結芽ちゃんが何やら作業をしている。益子町に生まれて千葉の大学で学び、東京で環境コンサルティングの仕事をしていた佑一さん。地域おこし協力隊を経て、合鴨農法でお米を育てる地元農家で2年間研修を積み、昨年新規就農。現在は合鴨農法でお米を育て、1反歩(300坪)ほどの畑で農薬・化学肥料を使わず約20種の野菜を育てる。佑一さんの屋号はnou-note(のうのうと)。子育てに忙しく、なかなか畑に行けない時期、表紙に「農ノート」と書いて独学したのが由来。名づけたのは彩香さんだ。

「漢字を当てると農人(のうと)。お金にすべてを還元しない形の農業を模索中です。のうのうと〝解放されて自由なさま〞が夫らしくて気に入ってます。家族と小さな農を営む、そんな暮らしを求める人もいると思うんです」

 その間も結芽ちゃんはスコップで穴を掘り、お椀でせっせと苗ポットに土を運ぶ。佑一さんはあれこれ言うでもなく、なるべく手も出さず、見守りながらも黙々とその隣で作業を続ける。

結芽ちゃんも一緒にショウガを掘る。「自分にとってはなんか普通です。親が大工で、子どものころに手伝いをしたのが楽しかった記憶があって。大工には、ならなかったですけど」と佑一さん。

どこに何が植えてあるかわかるように結芽ちゃんが野菜の絵を描いて小さな看板に。「子どもがいると雑草をきれいにしようという意識が働き、必然的に観光農園みたいになります(笑)」と佑一さん。

結芽ちゃんが描いた野菜の絵を縮小して貼り付け、オリジナルマグネットのできあがり。「畑保育園」はクリエイティブ。

お友達と畑で遊ぶ結芽ちゃん。「畑で運動会みたいなことをやりたいねって、昨日も話してたんです」(彩香さん)。(写真提供/仁平彩香さん)

 じつはこの畑、結芽ちゃんにとっては保育園でもある。

 「生まれて、やっと抱っこできる!と思ったら〝耳の形が違いますね、指も。口もおかしいです〞と4つほど指摘されて。私の出産が否定された……とへこみました。救急車で運ばれ、心臓病も見つかって。1回家族で泣きました。でも泣いていたら、みんなが泣くなと。たくましくあれ! たくましくあれ!と自分自身に言い聞かせて」

 生後8カ月で鼻水が出てそのまま入院し、緊急手術。おっぱいを飲む元気もなくなり哺乳瓶でも飲めず、鼻から栄養を送る経管栄養を1日6回、10カ月続けた。2歳で心臓病の根治手術を受け、胸には傷跡が残る。

 「そのことで本人がいつか悲しい気持ちになっても、気にならないくらい、たくましくなってほしい。できないことを探すんじゃなく、私はいろんなことができる!と思う子に。するとこの暮らしが必然になるんです」

 保育園にも通ったが、「畑の保育園がいい!」と言う結芽ちゃんの言葉をきっかけに退園した。そして畑の一角にあった小屋を改装。「畑保育園」と名づけ、結芽ちゃんは毎日毎日、元気に畑に出る。「保育園に行けないのではなく、行かない。ここで楽しく過ごす、この人生を選ぶ」、そんなふうに結芽ちゃんの記憶に残ってほしいと、先生役でもある彩香さんの工夫があちこちにちりばめられている。

 「私もこういう仕事をしていると、生業って生きる力だなと思うんです。頭ばかりを動かさず手を動かそう、季節の忙しさがあるくらいがちょうどいいって。お母さんは太陽のように、笑っているのがいい。『わかった、じゃあ行ってこい!』と娘の背中を押せる、そんな田舎のお母さんを目指し、ただただ一生懸命にやってるだけなんです」

料理は主に佑一さんが担当。結芽ちゃんはととのご飯が大好き。「旅行に行ったら、全然ご飯を食べないんです。ととのご飯がいい!って」と彩香さん。(写真提供/仁平彩香さん)

「私自身、じいちゃんが米を育てる兼業農家で、米1粒も残すな!と言われて育ちました。娘にとって米や野菜は“ととのもの”。ととのだから『大切に残さないで食べよう』とその言葉の真意が伝わる気がしています」(写真提供/仁平彩香さん)

トウモロコシの皮むき中。「病気があって大変でしたね?とよく言われるけど、だからここまで来られました」と彩香さん。

「娘が保育園に通っていたときはちょっとそわそわしていたけど、いまずっと一緒にいると、いいチーム!という感覚が戻ってきました」と彩香さん。

結芽ちゃんの最近のお気に入りはピアニカ。「ピンポーンと弾くから何かと思ったら、入院中に聞いたアラーム音でした。夜聞くあの音が私は怖かったけど、娘は、楽しい効果音!くらいに感じて、楽しく奏でていた。ああ私はいろいろ感じ過ぎていたなって」と彩香さん。

益子町のあちこちにあるソバ畑では、白い花がちょうど満開に。

益子の移住者仲間たち

「窯焼きを手伝いに来た人のために簡単な宿泊所をつくろうと思ったら、夢が膨らんじゃって。基礎工事からなるべく自力で、登り窯で使われたレンガと土を再利用しました」と言うのは、北海道出身の川尻弘さん(75歳)。大工さんの手を借り、登り窯の傾斜もそのまま活かしてゲストハウスをつくりあげた。川尻製陶所は息子さんが引き継ぐ。ゲストハウスへの宿泊客も受け入れ中。
「nobori」
https://www.guesthouse-nobori.com

大阪出身でミュージシャンだった榎田智さん(42歳)。沖縄のゲストハウスで、ヘルパーをしていた窯元の娘である奥さまと出会って結婚。益子に来て、手打ちそばを自作の器で出す義父の店を手伝ううち陶芸に興味を持ち、窯業技術支援センターで陶芸を学んだ。「ウチの十八番は急須。昔ながらの装飾ですが、若い方も使いやすいデザインになっています」。
「えのきだ窯」
☎0285-72-2528
Instagram/@enokidagama

井上美智代さん(42歳)は東京から母親と訪れ、ここで食べた白菜の甘酢漬けの味に感激。翌日も通い、陶芸をして器を買った。旅の終わりには母親と「移住したいね」となり、とんとん拍子で引っ越すことに。陶器市を泊まり込みで手伝ううち、「自然と結婚。すぐ子どももできて、その1年は怒涛でしたね笑)。益子は来る人をアットホームに迎え入れる町です」。


「碧いうつわと田舎料理 陶知庵」 
☎︎0285-72-2386 http://park21.wakwak.com/~tohchan/

栗おこわ御膳(1050円・秋限定)。

文/浅見祥子 写真/菅原孝司(東京グラフィックデザイナーズ)

写真のリンクから原文に飛びます。

2021年12月、宝島社の田舎暮らしの本に取材して頂きました。

女性ひとりで焼き物の町へ。地域おこし、結婚、起業、就農、 目指すは田舎のお母さん!【栃木県益子町】

掲載:2021年12月号

東京・秋葉原から高速バスで約2時間半の栃木県益子町。地域おこし協力隊としてこの地に赴任し、Uターンのご主人と結婚・出産した仁平彩香さん。その後、「益子、くらしの土産店」を起業し、今年新規就農を果たしました。益子での子育て、日々の暮らしについて伺いました。

「道の駅ましこ」へ納品する仁平彩香(にへいあやか)さん(33歳)。写真や文章によるナチュラルなPOP、パッケージは、すべて彩香さんの手づくり。商品にまつわるストーリーが記されている。彩香さんは長崎県諫早市出身。2014年5月から2016年3月まで益子町の地域おこし協力隊に。地元出身の佑一(ゆういち)さん(33歳)は地域おこし協力隊を経て、昨年新規就農。結芽(ゆめ)ちゃん(4歳)との3人暮らし。
「益子、くらしの土産店」
Instagram/@neharu_mashiko

 その日の待ち合わせは「道の駅ましこ」。仁平彩香さんは、益子焼の小鉢に収まった淡いピンクのショウガの甘酢漬けなどの納品にやってきた。昨年新規就農したご主人の佑一さんと4歳になる娘の結芽ちゃんと、家族で育てた作物を加工して販売する。

 「私自身が益子の暮らしに助けられたので、それをお土産のように持ち帰っていただきたくて」

場所を移して腰を下ろすと、猛烈なスピードで語り始めた。

直感で決め、益子で地域おこし協力隊に

 長崎出身の彩香さんは茨城の大学を出て上京。コミュニティトレードやNPOのインターンなど、いくつかの職を経験した。

 「東京だとなんとなく、仕事が残っていかない感覚があって。それで益子へ遊びに来たとき、畑にトウモロコシがのびのび育っていて楽しく、ここなら私ものびのび生きられる!と(笑)。からだが、そのときの気持ちよかった感覚を覚えていたんでしょうね。最終的には、直感が大きかったです」

 引っ越しを含めて求人を探すうち、益子町の地域おこし協力隊に行き当たる。じゃあ行ってみよう! 気軽な思いつきだったらしい。そして赴任の直前、同僚になるはずだった隊員が突然の辞退。追加募集に応募してきたのがのちにご主人となる佑一さんだった。

 「仕事は、道の駅ましこの開業準備でした。1カ月後の実証店舗のオープンを目指し、忙しかったです。販売の問題点や生産者との関係性、さまざまなシステムを勉強するなかで、いろんな農家さんと出会えた。ナヨナヨした私に、ふき味噌のおにぎりを握ったぞ、栗の渋皮煮をつくったよ、とくれたりして。ハードワークでしたが、その暮らしを益子の人たちに支えてもらったようでした。ありがたや益子!と」

 1日4軒ほど農家さんを巡って畑の写真を撮るという仕事で、さらに農家とのつながりができた。

 「花農家さんを訪ねると、干し柿をつくろうとカキの皮をむいていたり。季節の暮らしがベースにあって、みんな格好いい。道の駅でそのまま働く流れもありましたが、売る仕事でなく育てる側になろうと決めました」

 赴任して2年弱、佑一さんと入籍した翌月に退任。さあ何を始めよう?と思いを巡らすうち、「根を張り育てる暮らし」というテーマが浮かぶ。ちょうどそのころ、おなかには新しい命が。東京では根無し草だった自分が益子で暮らし始め、佑一さんと出会って家族になり、根を張って暮らしていく。だから屋号はNeharu(ねはる)。商品第1号は、地元の人や地域おこし協力隊の仲間とつくった菜種油「ましこのひとしずく」。

 さらに、彩香さんが辞めたあとも協力隊を続けていた佑一さんと梅干しをつくり、益子焼の小さなかめに入れ、道の駅で販売した。

「最初の梅干しづくりは娘が生後3カ月で、引っ越しも重なって、どうやって?とか言いながら、なんとか干して。できあがったら、今度は売りたくなる。それなら!と、知り合いのおばちゃんがつくるかめをとりあえず20個買って、梅干しを入れて販売しました。翌年100個、今は200個つくっています。もっと増やそうにも手仕事だから、これくらいが限度。季節の仕事はただ増やしていくんじゃなく、落ち着かせていくものだって覚えたんですよね」

 賞味期限の長い梅干し、ニンニクやショウガが主力。彩香さんも今年新規就農者となり、野菜に関しては「まだ勉強中」。

 「加工品づくりから、もっとお米や野菜などの一次産品にベースを置いて暮らしていけたら。そして、益子の暮らしをお土産にしたいと思っています。商品化したいのは手づくりショウガシロップキット。東京でシロップをつくろうとしたとき、ショウガの量は? びんの大きさは?と考えたら、とても時間がかかった。そこで材料や容器をキットにして、つくりたい思いと実際つくるまでの間を埋める仕事ができたらいいなと」

 益子には当たり前にあるもの、生活を手づくりする時間そのものをお土産に――。彩香さんの手がける商品は、益子での日々の暮らしから生まれている。

季節のかめシリーズ。梅干しやゆず味噌と、中身もかめの色みも、季節によって変わる。

結芽ちゃんは彩香さんを“かか”、佑一さんを“とと”と呼ぶ。「工夫すれば遊びもちゃんと仕事になる。親の発想力だな~って。勉強させてもらってます」(彩香さん)。

親子3人で「畑保育園」始めました!

 畑に移動すると、佑一さんと結芽ちゃんが何やら作業をしている。益子町に生まれて千葉の大学で学び、東京で環境コンサルティングの仕事をしていた佑一さん。地域おこし協力隊を経て、合鴨農法でお米を育てる地元農家で2年間研修を積み、昨年新規就農。現在は合鴨農法でお米を育て、1反歩(300坪)ほどの畑で農薬・化学肥料を使わず約20種の野菜を育てる。佑一さんの屋号はnou-note(のうのうと)。子育てに忙しく、なかなか畑に行けない時期、表紙に「農ノート」と書いて独学したのが由来。名づけたのは彩香さんだ。

「漢字を当てると農人(のうと)。お金にすべてを還元しない形の農業を模索中です。のうのうと〝解放されて自由なさま〞が夫らしくて気に入ってます。家族と小さな農を営む、そんな暮らしを求める人もいると思うんです」

 その間も結芽ちゃんはスコップで穴を掘り、お椀でせっせと苗ポットに土を運ぶ。佑一さんはあれこれ言うでもなく、なるべく手も出さず、見守りながらも黙々とその隣で作業を続ける。

結芽ちゃんも一緒にショウガを掘る。「自分にとってはなんか普通です。親が大工で、子どものころに手伝いをしたのが楽しかった記憶があって。大工には、ならなかったですけど」と佑一さん。

どこに何が植えてあるかわかるように結芽ちゃんが野菜の絵を描いて小さな看板に。「子どもがいると雑草をきれいにしようという意識が働き、必然的に観光農園みたいになります(笑)」と佑一さん。

結芽ちゃんが描いた野菜の絵を縮小して貼り付け、オリジナルマグネットのできあがり。「畑保育園」はクリエイティブ。

お友達と畑で遊ぶ結芽ちゃん。「畑で運動会みたいなことをやりたいねって、昨日も話してたんです」(彩香さん)。(写真提供/仁平彩香さん)

 じつはこの畑、結芽ちゃんにとっては保育園でもある。

 「生まれて、やっと抱っこできる!と思ったら〝耳の形が違いますね、指も。口もおかしいです〞と4つほど指摘されて。私の出産が否定された……とへこみました。救急車で運ばれ、心臓病も見つかって。1回家族で泣きました。でも泣いていたら、みんなが泣くなと。たくましくあれ! たくましくあれ!と自分自身に言い聞かせて」

 生後8カ月で鼻水が出てそのまま入院し、緊急手術。おっぱいを飲む元気もなくなり哺乳瓶でも飲めず、鼻から栄養を送る経管栄養を1日6回、10カ月続けた。2歳で心臓病の根治手術を受け、胸には傷跡が残る。

 「そのことで本人がいつか悲しい気持ちになっても、気にならないくらい、たくましくなってほしい。できないことを探すんじゃなく、私はいろんなことができる!と思う子に。するとこの暮らしが必然になるんです」

 保育園にも通ったが、「畑の保育園がいい!」と言う結芽ちゃんの言葉をきっかけに退園した。そして畑の一角にあった小屋を改装。「畑保育園」と名づけ、結芽ちゃんは毎日毎日、元気に畑に出る。「保育園に行けないのではなく、行かない。ここで楽しく過ごす、この人生を選ぶ」、そんなふうに結芽ちゃんの記憶に残ってほしいと、先生役でもある彩香さんの工夫があちこちにちりばめられている。

 「私もこういう仕事をしていると、生業って生きる力だなと思うんです。頭ばかりを動かさず手を動かそう、季節の忙しさがあるくらいがちょうどいいって。お母さんは太陽のように、笑っているのがいい。『わかった、じゃあ行ってこい!』と娘の背中を押せる、そんな田舎のお母さんを目指し、ただただ一生懸命にやってるだけなんです」

料理は主に佑一さんが担当。結芽ちゃんはととのご飯が大好き。「旅行に行ったら、全然ご飯を食べないんです。ととのご飯がいい!って」と彩香さん。(写真提供/仁平彩香さん)

「私自身、じいちゃんが米を育てる兼業農家で、米1粒も残すな!と言われて育ちました。娘にとって米や野菜は“ととのもの”。ととのだから『大切に残さないで食べよう』とその言葉の真意が伝わる気がしています」(写真提供/仁平彩香さん)

トウモロコシの皮むき中。「病気があって大変でしたね?とよく言われるけど、だからここまで来られました」と彩香さん。

「娘が保育園に通っていたときはちょっとそわそわしていたけど、いまずっと一緒にいると、いいチーム!という感覚が戻ってきました」と彩香さん。

結芽ちゃんの最近のお気に入りはピアニカ。「ピンポーンと弾くから何かと思ったら、入院中に聞いたアラーム音でした。夜聞くあの音が私は怖かったけど、娘は、楽しい効果音!くらいに感じて、楽しく奏でていた。ああ私はいろいろ感じ過ぎていたなって」と彩香さん。

益子町のあちこちにあるソバ畑では、白い花がちょうど満開に。

益子の移住者仲間たち

「窯焼きを手伝いに来た人のために簡単な宿泊所をつくろうと思ったら、夢が膨らんじゃって。基礎工事からなるべく自力で、登り窯で使われたレンガと土を再利用しました」と言うのは、北海道出身の川尻弘さん(75歳)。大工さんの手を借り、登り窯の傾斜もそのまま活かしてゲストハウスをつくりあげた。川尻製陶所は息子さんが引き継ぐ。ゲストハウスへの宿泊客も受け入れ中。
「nobori」
https://www.guesthouse-nobori.com

大阪出身でミュージシャンだった榎田智さん(42歳)。沖縄のゲストハウスで、ヘルパーをしていた窯元の娘である奥さまと出会って結婚。益子に来て、手打ちそばを自作の器で出す義父の店を手伝ううち陶芸に興味を持ち、窯業技術支援センターで陶芸を学んだ。「ウチの十八番は急須。昔ながらの装飾ですが、若い方も使いやすいデザインになっています」。
「えのきだ窯」
☎0285-72-2528
Instagram/@enokidagama

井上美智代さん(42歳)は東京から母親と訪れ、ここで食べた白菜の甘酢漬けの味に感激。翌日も通い、陶芸をして器を買った。旅の終わりには母親と「移住したいね」となり、とんとん拍子で引っ越すことに。陶器市を泊まり込みで手伝ううち、「自然と結婚。すぐ子どももできて、その1年は怒涛でしたね笑)。益子は来る人をアットホームに迎え入れる町です」。


「碧いうつわと田舎料理 陶知庵」 
☎︎0285-72-2386 http://park21.wakwak.com/~tohchan/

栗おこわ御膳(1050円・秋限定)。

文/浅見祥子 写真/菅原孝司(東京グラフィックデザイナーズ)

写真のリンクから原文に飛びます。